文:山城 拓馬(GIVE AND GO)
火曜の夜、那覇市内のとある体育館に明かりが灯る。
時計は19時30分、街はまだ慌ただしさを残しているが、ここだけは別世界だ。
バッシュの音を鳴らしながら、仲間たちとコートを走る。ボールを持てば、体が自然と反応する。ドリブル、パス、カットイン。呼吸が速くなるたび、心の奥で何かが少しずつ満たされていく。
「またバスケがしたいな」
そんな想いが芽生えたのは、ほんの些細なきっかけだった。引退して10年。コーチとして、スクール運営者として、そして父親として日々を過ごす中で、プレイヤーとしての自分は遠い存在になっていた。
でも39歳(今年40歳)という節目に立ったとき、自分の中にまだ燻っている「選手」としての火に気づいてしまった。
■ 再び動き出した身体と心
現役を退いたのは29歳。あのときは「やりきった」という思いもあったし、「次のステージへ行こう」という前向きな気持ちもあった。でも正直なところ、どこかで限界を感じていた。
それから10年。自分はプレイヤーではなく、指導者としての道を歩み続けてきた。でも、コートに立つ子どもたちの姿や、保護者の方々の応援、そして毎週のように観るBリーグの試合…。そういったものが、じわじわと心を刺激していた。
「もう一度、やってみたい」
その気持ちは、年齢を理由に消えることはなかった。
そしてある日、友人から紹介されたのが**「那覇神原クラブ40」**だった。
聞けば、40代を中心に結成された地域クラブで、週2回、火曜日と金曜日の夜に活動しているという。話を聞くだけで心が高鳴った。気づけば連絡を取り、見学に行っていた。
■ 火曜の2時間がもたらす「何か」
初参加の日。緊張した面持ちで体育館に足を踏み入れた。最初はどこか「コーチの自分」として距離を置いてしまっていた。でもボールが手に渡った瞬間、その感覚は消えた。
「あ、バスケって、やっぱり楽しい」

それは、まぎれもなく“自分のバスケ”だった。勝ち負けだけではない。技術を誇示するでもない。ただ、仲間と一緒に走り、汗をかき、笑い合う。その当たり前のような時間が、こんなにも尊いとは思ってもいなかった。
週1回、たった2時間の練習。でも、その2時間が自分の中で「軸」になり始めていた。
疲れていても、忙しくても、火曜の夜だけはスケジュールを空ける。家族も「行っておいで」と送り出してくれる。これは単なる趣味じゃない。自分の「再生」の時間なんだと、いつからか思うようになった。
■ 背中で語る人
クラブには様々な年代のプレイヤーが集まっている。40代はもちろん、50代、60代、そして…70歳になっても現役でプレイしている上原さんという存在がいる。
最初に見たとき、「すごいなぁ」という驚きとともに、「自分もああなりたい」と心から思った。
上原さんのプレイは派手ではない。むしろ静かだ。でも、その一歩一歩に意味がある。無駄な動きがなく、周囲の流れを読む力に長けている。パス一つ、スクリーン一つに「経験」が宿っている。
そして何より、誰よりも楽しそうにプレーしている。
プレイヤーとしてのキャリアを終えてから、10年。自分はどこかで「年齢」を言い訳にしていたのかもしれない。でも、70歳で現役を続ける上原さんを見て、思った。
「まだまだこれからだ」
人は、やめようと思えばいつでもやめられる。でも、続けることには勇気と覚悟がいる。その背中を、間近で見られることの幸せを、今、噛み締めている。
■ 新しいコミュニティ、新しい自分
スポーツの力って、何だろう?
若い頃は「勝つため」だった。成長するため、ステージを上げるため。でも今は違う。
**「つながるため」**にバスケをしている。
那覇神原クラブに集まるメンバーは、職業も家庭環境もバラバラだ。だが、コートに立てば誰もが“仲間”になる。年齢も過去のキャリアも関係ない。ただ、今この場所で、全力で楽しむ。それだけで十分だ。
そこにあるのは、「バスケを愛する人たち」の温かい時間。
その輪の中に、自分もいることができる。それだけで、胸がいっぱいになる。
■ 40歳からの挑戦は、終わりではなく「始まり」
プレイヤーとして復帰した今、自分はもう「若手」ではない。ジャンプ力もスピードも、全盛期には及ばない。
でも、楽しむこと、そして続けることはできる。
この歳になって、また新しい挑戦ができるなんて思ってもみなかった。でも今、確かに思う。
「バスケは、人生に寄り添うスポーツだ」
それは、10代の選手たちに伝えたいことでもある。結果や数字だけでなく、バスケを通して仲間と出会い、自分を見つけ、挑戦し続ける――。
そんな生き方ができるということを、自分の背中でも語っていきたい。
火曜の夜。那覇の体育館で、今夜もまたボールが跳ねる音が響く。
40歳の挑戦は、まだ始まったばかりだ。

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